長岡実業に聞く:老舗メーカーのミントづくり(前編)

2017.11.28

 私たちにとってなじみ深いハーブのひとつが、ミントです。料理や飲み物に添えて使うほか、ミントの香り、ミント味の商品もたくさんあります。ミントはどのように生産され、こうした商品に使用されているのでしょうか? 創業から200年以上の歴史がある、老舗ミントメーカーの長岡実業に話をうかがいました。

メントールは戦前、日本の主要輸出品

西宮市西宮浜に本社を構える長岡実業

西宮市西宮浜に本社を構える長岡実業

 ミントはシソ科ハッカ属の多年草(一部、一年草のものもあります)で、変種ができやすいため、世界中で600種類以上があるとされます。これらのうち、産業として栽培されている品種として、ペパーミント、スペアミント、和種ハッカの三種類が有名です。このうち、和種ハッカから多く採れる「メントール」という成分が、口に入れたときのスーッとした清涼感を生み、古くから利用されてきました。

江戸時代の店頭

 江戸時代後期にあたる1804(文化元)年、大阪で生薬を扱う漢方薬局として出発したのが長岡実業の前身です。和種ハッカは当時、生薬として利用されていました。明治時代に入ると、葉からオイルを取り出す、蒸留の技術が欧米から伝わってきます。そこで同社は、アメリカ人主導で、国内の農家から買いつけた和種ハッカの葉から抽出したオイル(ハッカ原油)の販売を始めました。
 当時の取引相手もアメリカ人です。彼らは、ハッカ原油を冷やして再結晶化させることで取り出せる、メントール(薄荷脳)を求めていました。

 1897(明治30)年、メントールの需要の増加を見込んで、横浜に自社工場を建設し、メントールを製造する事業を開始しました(2017年に事業開始120周年を迎えた長岡実業は、世界で最も古いメントールメーカーの一つです)。以後、メントールは日本の特産品に成長していきます。主に北海道と岡山県で栽培された和種ハッカを、メントールに加工して、輸出。戦前までは日本が世界の需要を満たしていました。

輸出していた当時の製品ラベル


 ところが第二次世界大戦で、日本は先進国と取引できなくなり、状況が変わります。それを機に、生産地は南米に移りました。和種ハッカは太陽と水、広大な土地があれば、どこでも栽培できるためです。戦後、かつて輸出産業だったメントールの事業は、ハッカ原油を輸入してメントールに加工するという輸入型の産業に転換しました。長岡実業は関東大震災で横浜の工場を失い、兵庫県神戸市灘区に移転後、1947年に株式会社化して現在は移転して同県西宮市西宮浜に本社を構えています。輸入先はその後も変遷し、同社の場合は1980年代~2000年代前半は中国、現在はインドが主流となっています。
ブラジルのハッカ畑

戦中戦後は一時、和種ハッカを南米で生産


神戸時代の工場

 近年、世界的に見ると、メントールの需要は高まっています。メントールを必要とする主な商品は、歯磨き粉、ガムやキャンディ等のお菓子、タバコなどです。これらの商品は、経済の発展によって、新興国でも徐々に消費され始めています。しかも一度味わうと、手放せない商品ばかりです。長岡実業の担当者は「一般的に社会の成熟度に応じて、メントールやミントの消費量は増えるといわれます」と指摘します。それに伴い、和種ハッカおよびメントールの生産量も増加の一途をたどっています。

長岡実業に聞く:老舗メーカーのミントづくり(後編)に続く

長岡実業株式会社
http://www.nagaoka-mint.co.jp/

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