「IターンやUターンも増えた」 岡山県矢掛町の日本ハッカで町おこし(2)

2018.05.15

 町内の河原で自生していた「幻の日本ハッカ」を復活させ、町おこしを進めている渡邉真さん。より多くの人に矢掛町(やかげちょう)とハッカのことを知ってもらうために、蒸留場を作ったり商品化にチャレンジしたりしています。渡邉さんに、これまで活動してきた中でうれしかったことや苦労されたことなどを聞きました。

矢掛町内の河原で自生していた日本ハッカ


Q. 矢掛町のハッカの魅力を教えてください
 矢掛町のハッカは、ペパーミント系で香りがとても良い「真美緑」、日本古来の和の香りを持つ「博美人」、有志の方が送ってくれた「秀美」(全て特許庁に商標登録済み)。どれも姿が美しく、それぞれ香りが良いのが特長です。

日本ハッカが市民権を得るのは大変

Q.日本ハッカを使ってどのような企画を試みましたか?
 地元の農家さんに頼んで、日本ハッカの栽培を復活させました。収穫後はお茶や焼酎にしたり、蒸留してできた精油を使いキャンディ、ジェラートなど、さまざまな商品開発を行いました。

 矢掛町は薩摩藩島津家の「篤姫」が江戸へ嫁入りするときに宿泊したことで有名になった宿場町です。昔ながらの風情がある街並みも楽しめて観光客にも喜ばれています。その江戸古民家を生かした宿やお店が並ぶ中に、2015年3月、「矢掛薄荷蒸留所」を作りました。

 ハッカは刈り取り後1週間ほど日陰で干し、40リットルのタンクにぎっしり詰め、3時間かけて蒸留します。そこからとれる精油は2000分の1の量、わずか20ミリリットルです。そんな裏話も矢掛町を訪れた方々に知ってもらいたいと思っています。

矢掛薄荷蒸留所。ポルトガルから取り寄せた蒸留釜で実演も行っている

Q.一番大変だったのは、どんなことですか?
 現在、市場に出ているミント商品のイメージが強すぎて、一緒に商品開発をしようと声をかけた方々に、西洋のハッカと日本ハッカとの違いを理解していただくのが大変でした。そして、ハッカをシナモンやニッキと同じだと思い込んでいる人が多く、日本ハッカが市民権を得るのは大変だということがわかりました。
 それでも地道に活動を続け、矢掛町近郊の食品メーカーやいろいろな方々のご協力により、次々と新商品が開発できました。そして、テレビ番組で取り上げられたことがきっかけで、矢掛町の幻の日本ハッカの認知度がアップしました。


矢掛ハッカジェラート(上)、ハッカ飴「みっちゃむ」(下)。いずれも矢掛薄荷蒸留所で販売している

Q.町おこしを企画する際、心がけていることはありますか?
 私が卒業した地元の高校の正門前に「至誠力行」という碑があります。中国の儒学者、孟子が残した言葉で、「良いと思うことは、誠意を尽くして、力で推し進める」という意味です。あの松下村塾の吉田松陰も塾生に語っていたといわれています。この言葉をモットーに活動しています。

Q.今後の展望をお聞かせください

 矢掛町は岡山県の中でも移住したい、住みたい町の上位に選ばれていると聞きました。実際にIターン、Uターンも増えています。日本ハッカを栽培してくださる契約農家さんは現在2世帯。どちらも地元の方々です。町外からも栽培したいという問い合わせはありますが、今は地元の農家さんを優先しています。
今後は、矢掛町でハッカ生産量を増やして販売ルートを確立させることも課題です。ハッカ栽培農家さんが経済的に安定できるシステム作りなどに注力し、これからもっとハッカを通して、矢掛町のことを知ってもらいたいと思っています。
また、ハッカの良さをもっと調べていきたいと思っています。(おわり)

前回の記事「50年前の香りをたどって復活」 岡山県矢掛町の日本ハッカで町おこし(1)

渡邉 真(わたなべ・まこと)[プロフィール画像]

渡邉 真(わたなべ・まこと)

1953年、鳥取県境港市外江町生まれ。3歳のとき岡山県小田郡矢掛町に転居、矢掛町のケーブルテレビ局「矢掛放送」社長。小学5年生のときハッカのさわやかな香りに魅せられ、外で遊ぶときはいつも葉をポケットに入れて持ち歩いていた。2010年、町内の河原で自生していた日本ハッカを発見し、ハッカを使った町おこしを企画。自らハッカの蒸留を行い、商品開発を進めるなど精力的に活動している。
矢掛町でのハーブな生活
https://jmentha.jimdo.com/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/

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