「50年前の香りをたどって復活」 岡山県矢掛町の日本ハッカで町おこし(1)

2018.04.04

 かつては日本もハッカ栽培が盛んでした。北海道が有名ですが、実は江戸時代後期、日本ハッカの本格的な栽培をスタートさせたのは岡山県だったという記録が残っています。

 岡山県の南西部に位置する矢掛町(やかげちょう)では、地元で50年以上前に栽培されていた日本ハッカを復活させ、町おこしに役立てようとプロジェクトが進められています。その仕掛け人である渡邉真さんに、ハッカで町おこしをするきっかけを聞きました。

Q.日本ハッカを最初に知ったのは?
 いまから約50年前、私が小学5年生の夏、矢掛町を流れる川には、ホタルやアユ、ウナギ、ウシガエルなどがいて、よく捕まえて遊んでいました。ふと河原に寝転んで近くの草をつかんだら、なんとも素敵なとても良い香りがして、年上の子に何かと尋ねたら、「そりゃあハッカじゃあ」と教えてくれました。いつもハッカをポケットに入れ、持ち歩いていました。

「まるで初恋の人に再会したような気持ち」

Q. 町おこしに日本ハッカを使おうと思ったきっかけは?
 現在、私は矢掛放送という地元ケーブルテレビの社長を務めています。このまま放っておけば衰退してしまう人口約1万4000人のこの町をどうにかしなければいけない、どうしたら人が来てくれるかと常に考えています。
 そんなとき、ふと河原に生えていたハッカの香りを思い出しました。急いで子どもの頃遊んでいた河原へ行ってみると、季節は初夏、青々と茂った草の中のどれがハッカかわかりません。そばにあった枯れ木を持って草原の中で振り回してみると、香ってきました50年前と同じあの素敵な香りが。ハッカが命をつないでいたのです。まるで初恋の人に再会したような気持ちになりました。
 2010年秋、矢掛町内の河川敷で大量に自生しているハッカを発見。これならほかの地域に負けないこの町の魅力になる、そう思ってハッカを使った町おこしを企画したんです。

矢掛町の街並み

Q.河川敷で自生していたのはどんな種類のハッカでしたか?
 50年前にイギリスのミッチャム地方にあるミッチャム種のペパーミントと日本ハッカの「三美」を掛け合わせて作られた、日本ハッカ「秀美」の子孫の可能性が高いのです。岡山県南西部でハッカ栽培が盛んでしたが、昔の記録を見ると、秀美は岡山の農業試験場で品種改良され矢掛町とその周辺の町だけに植えられたハッカだということがわかりました。

日本ハッカの花のつき方(左)、西洋ハッカの花のつき方(右)

 ハッカは遠い昔、中国から伝来したという説があり、矢掛町は遣唐使吉備真備と縁がある地とされていること、そして日本ハッカ「秀美」の系統で、美しい緑色の姿をしているところから「真美緑(しんびみどり)」という名前で新しく商標登録し、保護することにしました。

 自生していた中でも特に香りの良いもの、さわやかな香りのするものを厳選して植え替え、地元の契約農家の方に依頼し、休耕地として10年以上経過した畑で農薬や化学肥料を使わずコツコツと苗を増やし育てています。(後編に続く)

真美緑の栽培風景

渡邉 真(わたなべ・まこと)[プロフィール画像]

渡邉 真(わたなべ・まこと)

1953年、鳥取県境港市外江町生まれ。3歳のとき岡山県小田郡矢掛町に転居、矢掛町のケーブルテレビ局「矢掛放送」社長。小学5年生のときハッカのさわやかな香りに魅せられ、外で遊ぶときはいつも葉をポケットに入れて持ち歩いていた。2010年、町内の河原で自生していた日本ハッカを発見し、ハッカを使った町おこしを企画。自らハッカの蒸留を行い、商品開発を進めるなど精力的に活動している。
矢掛町でのハーブな生活
https://jmentha.jimdo.com/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/

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